休職どくたーの呟き

休職中に思ったことをまとめています

代々木を散歩

先日散歩した時に、なんとなく明治神宮に行ってみたことがある.

都心のど真ん中であるが、神々しさと涼やかさがあり、なんとなく気分が

落ち着く場所である.

僕は原宿駅あたりから歩き始めて、代々木駅をでて、最終的に新宿駅まで

歩いて行った.

 

途中、代々木駅には某有名進学塾があって、その前を通りかかると、

多分中学生くらいと思われる子たちが列をなしてその塾に入っていった.

知っている人は知っているあの塾である.

僕はあの牢獄のような雰囲気が怖かったので、一回見学に行ったが

入塾はせず、もう少しリベラルな感じの塾へ行ったが、僕の高校の

東大へいったやつは、だいたいそこに通っていたと記憶している.

 

カイジ利根川先生のセリフに、

「想像してみろ。エリートと言われる人達の人生を。

 小学中学と塾通いをし、常に成績はトップクラス。有名中学、有名進学校

 一流大学と、受験戦争に勝ってやっと一流企業に入っても、待っているのは

 出世競争。仕事第一と考え、上司に諂い、取引先におべっか。

 毎日律儀に会社に通い、残業をし、そんな生活を10年余り続けて、30第半ば40、

 そういう歳になってようやく蓄えわれる金額が1000万2000万という金なんだ。

 わかるか!2000万は大金!大金なんだ!それに比べてお前らはなんだ!?…」

というのがあるのだけれど.まあ2000万という金額はさておいても、

あの子たちはまさに関東圏のエリートたちで、まさに

「小学中学と塾通いをし、常に成績はトップクラス。有名中学、有名進学校

 通っている」子供たちだろう.

 

僕は中学2年まではまるっきり勉強しなかったが、親の怒りを買いそこから

猛勉強して進学校へ行った.親はMARCHくらい行ってくれればそれ以上要求

するわけではなかったようなことを言っていた.医学部に行くとは思っていなかった

し、自分たちの学力と比較すると無理だと思っていたのだとかなんとか.

なので、僕はあの塾に通っているような、典型的なずっとエリートな子ではなくて、

どちらかというと荒れている底辺中学校みたいなところで、なんかよくわからない

けどやり過ごしてきたという人間だ.今思い返してみると、なんか不登校だとか、

貧困とかで通学そのものが不安定な人が結構いたような気がしたが、

当時は荒れている中で、自分の学業をなすので精いっぱいだったのだ.

 

あの牢獄のような塾に吸い込まれていく子たちは、熱心に勉強をしているのだろう.

意外とそういう子たちは部活動にも熱心だったりするもので、文武のエリート

だったりする.

「一流大学と、受験戦争に勝ってやっと一流企業に入って…」というところも

多くの子が進んでいくのだろう.

 

私立桜蔭中学校と国立和歌山大学の入試問題に使われた国語の文章が同じもので、

しかも桜蔭中学校の方が長く、問題自体も難しかった、ということが何かに書いて

あった.一部のずばぬけて優秀な小学生が、一般よりは優れた高校生が説く問題より

難しいことをしている、という絶望的なほどの教育格差があるということ.

 

そして、多くのエリートたちは、世の中にそういう格差があって、そういう

”落ちぶれた”人がいるということを知らない.いや知ってはいるかもしれないが、

それは”歴史上の人物がいた”のと同じ認識で、彼らの生存領域における

事実ではないのだと思う.

 

多くの、と書いたけど、医者になった人は、よほど大学病院とかせーるかのような

エリート病院に居続けたのでなければ、市中病院で”落ちぶれた人”を見ることになる.

言葉は悪いけど、それは事実だろう.

落ちぶれた結果が、病気であったり精神疾患であったりするのだ.

そして、それに対してどう対応するかも、医療者次第である.

親身になって対応する人もいるし、淡々と対応する人もいる.

残念ながら拒絶する人もいる.

 

拒絶する人は良くない!って世間は思うだろうし、僕だって自分の感覚では

そう思う.だけど、世の中には落ちぶれた人、辛い人、かわいそうな人が

多すぎるのだ.訪れ続けるそれらの人すべてに親身になって対応していれば、

自分が壊れていく.そしてやがて働くこともままならなくなるなら、

もはや誰も助けることはできない.

 

それなら拒絶するような冷たい医者でも、働き続けていれば社会の役には

たっているのだから、、、なんて考えてしまわなくもない.

逆説的だけれど.

 

ちょうど夏期講習の時期に、あの塾に吸い込まれていく子供たちは、

10年後、どんな目で社会を見るのだろう.